連日秋晴れのと〜ってもよいお天気が続いてます
見渡す限り黄金色の田が目に入ってきて、そろそろ稲刈りがあちらこちらで見られるのかと思います
不登校時の出来事を記事に残しておこうと思って、ちょこちょこっと書いてはみたものの、あれれ〜
の状態で
順を追って書いていくか?それとも日々の日記の中に盛り込むか?ごちゃごちゃな状態でなんだかうまくまとまりませんが、少し書いてみました。
息子は3年生の3学期から完全不登校になりました。
今までを流れ的にみると
息子の不登校記録・・・【不登校の始まり】
息子の不登校記録・・・【夜が恐い】
息子の不登校記録・・・【先祖の供養】 このような流れでした。
2007年2月
不登校なんだと認めざるを得ず、思い悩んでいる日々が続く中、親戚のおじさんの紹介で東京在住のセラピストさんを紹介してもらいました。電話での相談です。
その方からは「命令・指示・禁止」はしないで。できることはなんでも受け止めて。と言われてました。
ある日の晩ご飯のとき。
普通に食べ始めたかと思ったら突然息子が
「まずい!!こんなの食べられっか!!」と突然箸をバーンって置いて、食器をザーッとどかし・・・
「肉!肉が食いたいんだ!!」と大騒ぎ。
「肉?肉にも色々あるけど・・」
「肉っていったら肉なんだ!!」
「・・・焼肉ならできるけど・・」
「そんなんじゃねえ!肉だよ!にく!」
あまりの剣幕に私は肉(?)を買いに出かけたのでした。
外に出たついでに、そのセラピストの先生に電話して今の状況を説明し、どうしたらいいか尋ねたら
「あなたができることはやってあげて。できないことはいいから」と。
「私もね、もう寝るだけでパジャマ姿でいるのに急に娘にコーラ買ってきてって言われて、深夜に買いに行った経験があるわ」と。
そう言われると、買うことはできるわけで・・結局お惣菜のから揚げを買って帰ったのでした。
帰ると息子も比較的落ち着いていて、買ってきたから揚げを食べたのでした。
「まだ(休み始めてから)一ヶ月も経ってないじゃない、焦らないで。私の娘は1年かかったわ。」
そう仰るセラピストの先生に私は「はい・・・」と答えるものの・・・え、これがずっと1年も続くの?・・・と内心思ったのでした。
結局のところ私は、できることとできないことの区別がわからず、息子に気を使い、そして息子の言うがままに従いいいなりになっていたのでした。
完全なる子ども上位の世界です。
一度そのセラピストの先生ともお会いすることができました。
がんばりましょうと励ましてくださり、元気をいただきましたが、おじさんが紹介してくれただけで正式にカウンセリングを受けているというわけでもないので、遠慮もあり、徐々に遠のいてしまったのでした。
おじさんにも常に心配してくれて状況を聞いてくれましたが、
ゴミ箱を常に蹴ってゴミをまき散らす息子の様子を伝えたら
「そっか、そっか・・ありがとう・・何事にもありがとう・・と感謝の気持ちでね、ゴミ箱を蹴ったら、蹴ったゴミ箱にもありがとうと感謝するぐらいの気持ちでね」
と言われ、(え〜〜・・とてもゴミ箱になんか感謝できないよ・・なんか違う・・)と思った私でした。
おじさんはきっと別の意味合いで私に伝えたかったのだと思いますけど・・。
不登校になり始めてからの1、2ヶ月は、どうしよう・・と日々悩み続け、とりあえず相談した方がいいだろうと思い、学校・・担任・・公共の相談機関・・スクールカウンセラー・・と、動いていた私でした。
一番最初に相談のため電話を掛けたのは児童相談所でした。
電話を掛けると住んでいる地区を聞かれて、担当の区域があるからと掛けなおすように言われ、掛けなおした先は市役所の家庭児童相談室でした。
声からするとけっこう年配の男性の方が聞いて下さいました。ちょうどその日初めてスクールカウンセラーさんともお会いする日だったので、「なお、まずはそちらに行ってみて相談してみて下さい」と言われました。
スクールカウンセラーのいきさつは
ここで少し書いてます。
後にこの家庭児童相談室の相談員の方とは別の繋がりで直接お会いすることになりました。
当時の息子は夜になるとハイテンションになり、常にイライラし、暴れ、叫び、食事に文句はしょっちゅうで、要求もすごい。そして貧乏ゆすり、爪かじりなどが頻繁にでていました。
ある夜、私が買い物行こうとすると一緒に行くと言いついてくるものの、お店に着くと「誰かに会うと嫌だからやっぱ行かない・・」と車の後部座席に隠れるように身を潜めている姿がとても不憫に思えて・・・
相談というと担任の先生も常に心配してくださっているわけで・・。
次は担任の先生とのかかわりなどを書いてみようかなと思います。
先日、なんでこんなにほこり
って溜まるのかなぁって思いながら掃除をしていたら、
ほこりをかぶったスージーちゃんを発見
どんどん物は増えるので、要らない物は捨てていきたいところなんだけど、
このスージーちゃんは捨てられないんだなぁ
息子が不登校中でずっと家の中にいた頃、娘の心も不安定なものでした。
そんな娘と一緒にビーズアクセサリーやバックなど実に色々なものを作りました
このスージーちゃんも娘と一緒に作った中のひとつなのです。
これを見ると当時を思い出すわ〜〜
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