2007年1月下旬〜
息子が学校に行かなくなり、私に「仕事に行くな!」と言うようになりました。
私は仕方ないので、家でできる仕事は持ち帰り、一週間休みをとりました。
それでも代わりがきかず、待ったなしの仕事もあるので、息子の状態をみながらまた少しずつ会社に行き始めました。でもせいぜい2時間、よくて3時間くらいしか仕事になりませんでした。
必ずお昼頃「まだ?」「いつ帰ってくるの?」と携帯に電話をかけてくるので、会社の人も「無理しなくてもいいから」と言ってくれ、お言葉に甘えて帰らせてもらってました。
家でも姉とのケンカも絶えなくなり、その度に息子は私に「明日仕事にいくな!」と言う始末でした。
姉も初めの頃は弟に気を使っていたんです。
夜になるととてもハイテンションな息子と一緒に遊んだり、皆で息子のしたいことにつきあったりと。
でも次第にケンカも多くなって・・・。
仕事をしないとお金が入らない、生活ができないんだよ等の説明をしてもいっこうにダメ。
それほどまでに私が仕事にでることが嫌なのかと思い、
「わかった・・・仕事より○○(息子)の方が大事だから仕事休むよ」と言うと少し落ち着いて素直になった息子でした。
そんなわけで仕事には息子の気分次第で行けたり行けなかったりの日々でした。
休み始めて2週間、お友達のお母さんも心配して下さり、一緒に遊ぶ手配もしてくれて。
まだこの頃はクラスのお友達とも会うことはできてました。
放課後にお友達の家に行き(お友達のお母さんが仕切ってくれて)、帰ってきて、楽しかったのか機嫌はよく
「ほんとはね〜行きたいんだけどね〜、だけどね〜・・・」
と言った息子でした。
そして先にも触れましたが、夜になるとハイテンションになるのです。
当時娘は11時頃就寝してたので、自然と寝るモードになるのですが、
一応息子も寝る態勢になるのですが
「怖い・・・」
「朝になるのが怖い・・・」
「寝たら朝がきてしまう・・・」
と言い、夜更かしが続きました。
布団に入らず居間にい続けたりするので、一緒につきあって居間に寝たりもしました。
それまで2段ベットの下段に一人で寝ていた息子は、赤ちゃんの頃と同じように私と布団を並べて一緒に寝るようになりました。
夜が怖い・・・という息子
朝になるのが怖い母・・・
1/24日〜1/30日は「全国学校給食週間」だそうです。
それにちなんで、28日は小学校も中学校も
「郷土食・伝統食を食べよう!」という日でした。
市内全小中学校で統一献立です
学校給食に関する理解と関心を高めるため、毎日の食事に感謝し、また昔から地域に伝わる伝統料理や風土にあった四季折々の地元の産物、旬の食材を使用した郷土食を献立に組み入れ、食習慣、地域の歴史文化を改めて見直し、郷土を慈しむ心を育てる。
とういうのが趣旨のようですね。
献立を紹介します(配布チラシより)
七穀米 おしむぎ ・くろ米 ・はとむぎ ・発芽玄米 ・もちきび
・たかきび ・アマランサス
の七種類の雑穀をまぜて炊き上げる。
せんい質を多く含み、健康食として見直されています。
塩引き(一塩新巻鮭)
昔はお店屋さんもなく、魚はなかなか食べることが
できませんでした。
お歳暮などにいただいた塩引きを保存食として、一匹を
必要分切りながら食べていました。
ざくざく煮 明治以前より地域で色々な行事の時に作られていました。
今では捨てられてしまうようなところまで無駄なく使われて
いたので1cm位のさいの目に切られています。
鶏肉・大根・にんじん・ごぼう・焼とうふ・こんにゃく等
じゅうねん(エゴマ)和え
はくさい・小松菜・にんじんをじゅうねん(エゴマ)で和えたもの
じゅうねん(エゴマ)はしそ科の植物で香りがよく、ビタミンA
B1・B2・Cが多く含まれています。
昔の和えものといえばじゅうねんが使われていました。
じゅうねんはどこの家庭でも栽培されており、よく食べられ
ていました。
りんご 昼と夜の温度差がある高原特有の気候のため、おいしい
りんごやサクランボが栽培されています。
さて、娘も息子も何かを感じ取って味わうことができたのでしょうか?
2年前息子が学校に行かなくなり始めたのがちょうど今頃。
その頃の様子を思い出してました。
ブログを書き始めたのが復学してからなので、不登校の頃から学校に戻るまでの我が家の場合の様子を少しブログに書き残してみようかなと思います。
以前にも同じような事を書いてるかもしれませんが・・・
不登校の始まり・・・2007年1月
我が家の場合、「うちの子が何故?どうして?」
というように、突然学校に行かなくなってしまったわけではないような・・・
くるべきものがきてしまった・・・というのが正直な想い。
小学校1年生の時、一度学校を行き渋り、無理やり車に乗せ、車から降りない息子をなんとか養護の先生に引き渡したことがあります。
このときは、まだ1年生だしこんな時もあるかなと軽く考えていました。
2年生に進級し、担任の先生は新しい女の講師の先生。
2学期の中頃、また行き渋りがでました。
そのときは、「不登校になってしまうのでは?」という私の不安に、
担任の先生が「不登校と思わずしばらく様子をみてみましょう」と言われ
2日続けて休んだ程度でその後無事3年生に進級しました。
ただ2年生の時は、水泳記録会の日に休んだり、学年行事の日の朝に急に行かなくなったりと、行事関係でハラハラする日が多かったです。
3年生に進級し、今度は他校から新しく着任した少し年配の女の先生。
とても物事をはっきりと言うかなり厳しい先生。
2学期の終わりごろには息子はもう月に1回〜2回休むようになってました。
そして3学期が始まり、始業式の次の日に休み、次の週の月曜に休み、翌日からはなんとか車で送迎することによって登校できてましたが、また次の週から休み始め、途中担任の先生が検査入院のため休むとわかっていた日だけ登校でき、その日の帰りも「明日先生いるのかな・・・」とすごく気にしていて、先生がネックなのかと思っていた私は「わからないけどまたお休みかもね」なんて行きやすいような言葉もかけたけど、次の日もやはり行くことができず、それ以降もう学校にまったく行くことができなくなりました。
その頃迄の朝の様子は、私はおきてこない息子を抱きかかえ居間まで運び、
半分寝てる状態の息子にご飯を養い、制服の着替えを手伝い、何とか送り出す。
とても疲れる毎朝を過ごしてました。
時には「こんな朝飯、まずくて食えない!」と怒り
登校時間が近づくと「お腹が痛い・・・」
とにかく私は学校に行ってほしくて、ひきずってでも連れていこうとしました。
そのうち車まで来れてたのが、もう玄関から出ることができなくなってしまっていました。
「いじめられてるの?」
「違う・・・」
「先生が嫌なの?」
「休んだ次の日にしつこく理由を聞かれるんだ・・・」
やっぱり先生が嫌なのか・・・
当時の私はそんな風に思っていました。
と同時に今までの甘やかしがこんな形ででてしまったんだろうなとも思い、後悔するばかりでした。
渡すものもあったので学校に出向きました。
校長と担任と養護の先生を交えて話し合い。
「いったい何が原因なのでしょうね・・・」
「・・・・私も困ってしまって・・・」
何分ぐらい話し合っていただろう・・・
毎朝の様子を話したり、学校での様子を聞いたり・・・
「とりあえず今日は制服を着ることまではできたのですから、それだけでも認めましょう・・」と言う養護の先生の言葉で終わりましたが・・・。
担任からカウンセリングを受けたほうがよいという話だったので、教頭先生を介して、中学校に来ているスクールカウンセラーの先生との相談の予約をいれてもらいました。
そして1月終わりの週にはもう学校に行くことは難しいとわかったので、無理に連れて行くことはやめ、
朝に「どうする?」ってだけ聞いて、布団をかぶる息子の姿を見る毎日になりました。
私は子どもが生まれてからもずっと仕事を続けてました。
産前6週産後8週の産休のみ、あとは日中預けて働いていたので、
愛情不足?今こうして母の愛を取り戻そうとしている?
寂しかったのだろうか・・・とも考え、会社に事情を話し、有給を使いしばらく休みをもらいました。
そんな中、担任の先生がしばらく入院することになり、もしかしたら行けるかも・・・と淡い期待ももちましたが、そんな願いも崩れ去り、どうしたらいいものかと頭を抱え込む毎日でした。
「とうとうドラマにもきたか・・・」
大分前ですが娘のつぶやきです
そう、ドラマにもテレビ画面右上に「アナログ」と表示されるようになってしまいました
もはや早く地デジにしなさいと言わんばかりに・・・
わかってますよ!2011年2月まででしょ!
その頃までには液晶もだいぶ安くなってることでしょうよ。
(今もかなり安くなりましたけどね)
まだまだ我が家はギリギリまでいきますよ〜〜〜
「おみやげあるよ!!」と。
「ん?おみやげ?」
「あ、やっぱない、ない」と言ってて。
不思議な娘?と思っていたら、鞄から何やら賞状を2枚だしてきました。
「みてみて!」
何やら美術でつくった造形作品で賞を頂いたみたいです。
木製の立体パズルみたいなやつです。
同じ作品で地区からのと県からのみたいです。
今まで図工関係の表彰は無縁だったので、「こういう賞状もあるんだねぇ」と
おもしろい賞状に2人で見入ってしまいました。
作品でなく賞状アップして親バカでごめんなさ〜い
めったにないことなので許して 画像も悪っ・・
なんだかもっと見づらい画像
どちらも背景が絵でおもしろい賞状でした
作品がまだもどってきてないのよね〜
娘も「認められたっていうことか〜」ととても嬉しそうでした
「うれしいね、がんばったかいがあったね」と伝えました。
「描くより作るほうなんだね〜」って言ったら
「やっぱりウチは工事現場か〜」とちょっと的違いなことを言ってましたけど。
(娘は車で走っていると、よくヘルメットかぶって道路工事なんかしてる工事現場の人いますよね、それをみてウチもあんな風に工事現場の仕事してみたい〜なんてよく言ってるのです)
娘は小学時代は図工が大好きで、特に工作みたいなのが昔から得意なんですよね。
これは父親似でしょう
反対に息子は図工が大っ嫌いです。
まさに、ぶにん先生の記事の「不登校児童の性格傾向」にあてはまりますね(読み逃げの私です)
考える能力が乏しいのでしょうね。そうさせてしまったのは私ですが。。。
最近では苦にするようなことは耳にはしなくなりましたが・・・。
廊下などに飾られている息子の作品をみても???です
同じ兄弟でもまったく違いますね
それぞれが得意なものは伸ばしていき、苦手なものは苦手なりにつきあい乗り越えていってほしいなと思いました。
【追記】(2010.12.4)
作品をUPしてみました
やってみると意外に難しかったです
完成するとこんな感じ〜
あまりの手抜き家事に、娘に「育児放棄だ〜〜!」と言われながらも、
週末はひたすら寝ていた私です
おかげで今は復活しました。
毎週1回英語の塾に通っている息子。
先週塾のある日、夕方携帯に息子から電話がかかってきて
「おれ、今日イングリ(英語の塾を略してこう言ってます)休むから!」と。
「どうしたの?」と聞いたら「バス行っちゃったし!!」
どうやらバスに乗り遅れたようです
「そう、バス行っちゃったんだ、送っていこうか?」
(また余計なことを言ってしまった私 )
「いい!休むからいい!」
と言い電話を切られました。
家に帰ってみると、急いで支度をしてたのかジャンバーやら塾の荷物やらが出てました。
塾のある曜日は必ず6校時なので、多分帰ってきてあまり余裕無く、すぐ塾のバスがくるんだと思うのです。
でも今まで遅れたことはなかったんですよね・・・
でも、この日の遅れの理由、帰る前になんとなくわかってました。
月刊誌の発売日だったのです。
話を聞くとやはり・・・
自分では間に合うと思い、帰宅してから本屋さんに行って、帰ってきた時にはまだバスは来てなかったそうな。
バスがきたと気づいて、家を出て階段を駆け下りてる途中にバスは出発してしまったらしい
「車で行くのは嫌なんだ・・・」
遅刻しても送ってもらって行くという選択肢はないようです。
もしかすると、マンガが入ってた袋が玄関に捨ててあったから、マンガを読み始めてしまって時間を忘れてしまってたのかもしれない。
「次はちゃんと行くよ」という息子。
「そう、わかった、時間気をつけてね」
とまではよかった・・・
ここで私はきれいいさっぱり塾のことは頭から切り離せばよかった。
なのにやっちゃったんですよね〜〜私。
「な〜に!?やっちまったな!!」 (クールポコ調に言ってね♪)
・・・ってふざけてる場合ではないのですが
その後マンガをみてる息子に??という思いがあり
「マンガを見てるってどうなのよ」とか
「塾から帰ってくるまで我慢できなかったんだ」とか言ってしまいました。
それからは反発ですよ、やっぱり
「いいよ!マンガは捨てるから!」と自分でゴミ箱に放り投げ
「5分なんて待ってないし!すぐ行っちゃったし!」と悔し泣きみたいな感じで泣いてます。
最終的に「もうやめてやる!!もう一生行かないから!!」の剣幕です。
あらららら 私がこの言葉を言わせてしまいました
とりあえず私は炊事にかかり、別の部屋に行った息子は放っておいたのですが、
「ご飯だよ」の時には落ち着いたようで出てきました。
出てきたところに姉が「いったいどういう状況で乗り遅れたの〜?」
なんて聞いてたから今聞かなくても〜と思ったのですが、
息子は冷静に姉に状況を説明してました。
「辞めないけどね」と言ってました。(さっきの騒ぎはなんだったのよ)
息子としては本屋さんに行っても間に合うと思ったのでしょう。
だけど、急いでるでるせいもあって服もうまくとれない、鍵もうまく閉まらない(確かにかかりづらいのです)走っていったのにバスは行ってしまった。自業自得だろうけど、悔しい気持ちだったのかとも思います。
だからといって休んでいいわけではないのだろうけど、バスに乗り遅れたのは今回が初めてなので忠告にとどめました。(この忠告がぐじぐじと言ってしまい失敗しちゃったんですけど)
次はどうしたらいいかわかってくれてればいいかなと。(甘いか・・・)
余談 あれっ、両隣のブログパーツの言葉「ゆるす」で一緒だわ〜
土曜日に久しぶりに父親がやってきました。
う〜ん、前回きたのはいつだったっけ?
多分11月頃だったかな〜。
今回も仕事の途中に寄ったみたいで・・・
この不景気に忙しいことは何よりです(少々嫌味?)
離婚してから養育費をもらってます。
協議離婚です。
公正証書も取り交わしてません。
ただ、子ども達が成人するまで毎月養育費を払う等書かれた合意書みたいなのはあります。
正式に離婚してからもうすぐ8年が経つのですが、養育費を一度も怠ったことはありません。
決して高給取りなんかではないと思うのです。
これから先どうなるかわからないけど、こうしてきちんと養育費を出してくれて、少しでも父親の責任?を果たしてくれていることはありがたいと思ってます。
私もしっかり子ども達を見つめて育てていかなければと改めて思ってしまいます。
さて、仕事の合間に寄ってくれた父親は、子ども達に「お年玉」をもってきてくれました。
あれれ?今までお父さんからお年玉をもらったことあったっけ?
昔義母からだって渡したことが一度あったような気がするけど・・・どうしたんだろ?
予想外のお年玉に息子なんか顔がニタニタ
しかも開けてみて1万円が入っていて更に顔がほころぶ
私「え?そんなにいらないよ〜」と思わず言ったのですが、
「クリスマスと一緒ね」という父親
ん?んん?んんん??
先月いつもの額より1万円多く養育費が振り込まれていたので、クリスマスプレゼントの分だなと思った私です。
「あれ?先月多く振り込まれてたよ」と伝えたら
「ええ〜!そうだった?」と。
「あ、そうだわ〜〜」とすっかり忘れて勘違いしてたようです。
一つだけもらって半分に割るからいいよと言ったのですが、
「いや、一度渡したたんだからいいさ」と太っ腹をみせてくれました。
しまった〜と思ったかな?
もらえるものはもらっておきましょう。
ありがとね♪
その後は仕事に向かった父親。
今まで色々あったけど、今はこんな風な関係で、またそれがいいのか悪いのかもよくわからないけど、深く考えすぎるときりがないし、今のところ子ども達に悪い影響はでてないので、とりあえずいいのかなって思ってます。
今度はまた愛犬を連れてきてよ〜〜!
父親の愛犬です!
犬好きだったっけ・・・!?
ちなみにこれは携帯に送ってきてくれた写真であり、
ワンコもかわいいけど、いったいどんなところに住んでいるのか?
と、バックの背景が気になった私です。
8日から3学期が始まったわけですが
なのに・・・なのに・・・なのに
あちゃ〜〜 初日から、やっちゃいました〜
私ったら・・・朝寝坊!! してしまいました
なんと 目覚めたのが7時です。
子ども達の夜更かしを心配して起きれるかななんて心配してるどころじゃありませんでした
しかも息子に「ちょっと・・・」と起こされた。
もちろん息子も今起きたわけで・・・
皆寝てた、誰も起きなかった
娘はだいたい7時ちょっと前頃家を出る。完全アウト
とりあえず皆起きてそれぞれに支度。
私はとりあえずふりかけご飯を用意
7時10分過ぎ頃完了。
仕方ない、娘は途中合流のお友達の家まで車で
息子の家を出る時間も少しオーバーしてて、
つい、息子に「どうする?一緒に乗ってく?」と思わず聞いてしまった
しかし息子の返答は
「いや、おれはいつもの時間だし」と言い
さささ〜っと家を出て行きました
3学期初日からバタバタとしてしまい、こんな大失敗をしてしまった私です
夜更かしもほどほどにしないと・・・ 反省です・・・(×_×;)シュン
2009年丑年がスタートしましたね 今年息子は年男です!
昨年祖母が他界し喪中のため年頭のご挨拶は控えさせていただきます。
拙いブログではありますが、本年もどうぞよろしくお願いいたします
我が家のお正月、何もないのも寂しいのでお雑煮は作って食べました
あまりお雑煮が好きでない息子だったのですが、今年はたくさん食べてましたね。
年賀状も私は出しませんでしたが、子供たちは構わないかなと思い、娘は出してました。息子は「きたら出す」パターンです。
女の子と男の子の違いでしょうかね〜。特に息子は面倒くさがりですから
それでも先生とお友達から2枚は届いてたようですが・・・
今ではもう私より娘の方がくる枚数は多いです。
そんな感じでどこに行くわけでもなく、実にのんびりのお正月を過ごしてました。
そして、私事ですが、中学校の同窓会に行ってきました
行くと決めたからには、少々気合を入れてみたりなんかしたけど(笑)
あまり変わり映えもせず
娘なんか、ズラ〜っとマニキュアを並べて「これなんかいいんじゃない?」とアドバイスくれたりして
しまいには、「ウチ(私)メイクしてあげる!」と言ってましたが、そ、それは・・ご遠慮願いました。
息子には「キモッ・・」と言われ
いざ出席!! いや〜〜、懐かしい! 懐かしい顔ぶれが
卒業以来会う同級生もたくさん。
恩師の先生もみな出席してくださってお元気でした。
話しに華も咲きとても懐かしかったです。
女性陣は久しぶりでもすぐわかるものの、男性陣!「いったいあなたは誰?」という方が多く
お互いネームを見せ合って「あ〜〜ぁ!」なんてもね
お世辞とはわかってても「変わってないね〜〜」って言われて少々浮かれてた私です
卒業アルバムを持ってきてた人がいて(私はもう紛失してるけど)
なんとまぁ!みんな初々しかったこと。
そしてタイムカプセルを開封(そんなのあったのねぇ)
「卒業と私たちの決意」と題した手紙がでてきて、みな当時の思い出を胸に読み返してました。
宴会そして二次会、三次会と盛り上がりました
私にとっては夢のような時間を過ごすことができてとても楽しかったです。
それにちょっと素敵な出来事も それはヒ・ミ・ツ!なんですけどね
家でお留守番の子ども達。
途中電話もかかってくることもなかったし、しっかりお留守番してたようです
ありがとう!
なんでも寝たのは3時頃だそうで、深夜1時頃からやっている映画を見てたようです。
これは前々から娘は見ていて夜更かしは続いてたのですが、この日は息子も一緒に見てたみたい。
しかも、その間に最も最後に残るだろうと思っていた苦手の作文の宿題を娘と一緒に(娘も同じ題材の作文が残ってたのです)書き上げたそうで。
これには驚き!
テーブルにワイングラスがでてたので
「何飲んだの?」と聞いたら
「え、これで乾杯してたの、ルネッサ〜〜ンス!ってね」 だって。
ささやかな宴会を開いていたようです。
2人で仲良く過ごせてたようです。普段はケンカばっかりですけどね、安心しました。
母は心置きなく楽しむことができました。
で、私は今日から仕事始めでした。
冬休みももうすぐ終わり。
すっかり夜更かしの子ども達です。
昨日も布団に入りながら「最近寝るのお母さんと一緒の時間だね」と言ったら、
息子は「そうだね〜、そろそろもとに戻さないとね〜」と言ってましたが今日もすっかり夜更かしです。
もう私の寝る時間頃まで起きているので、私としては一人ゆっくりPCに向かうこともできず、少々イライラ
今も娘はピアノに向かいマリンバの練習、うまくできず癇癪をおこしながらです。
やっと、「もう寝よう、こんなに頭に詰め込んでもダメだ・・・」と諦めたようで、
「そうだジャージを着て寝よう!」
と、明日の靴下をはき、学校の半袖ジャージを着てその上にパジャマを着てベットに入りました。
少しは着替える手間が少なくなると考えたようです
今年もいろいろあると思いますが、こんなかれん一家の日常に今年もお付き合いくださっていただけたら嬉しく思います