以前、息子が月曜日になると休む・・という記事を書きました。
3/7記事 「しばらく・・・」実はその後息子はずっと休み続けたんです。
次の日の火曜は咳が出て苦しい・・
水曜は・・火傷の痛みを訴え・・トイレにこもり出てこず・・
この、トイレに入ってなかなか出てこないっていうのが、まず今までになかった行動・・
何か心配なことがあるのか聞いても
「なんでそうとるんだ・・そう思うんだったらそう思え!」
と怒るだけ・・
先週や先々週のこともあったので、上野先生にご相談・・。
自力での復活を願いましたが・・。
毎朝、毎朝、何かしらの理由をつけ渋る・・
担任の先生も心配してくださり、電話をくれたり、訪ねてもきてくれましたが、息子は会おうとせず・・
その光景はまるで4年前の不登校の始まり時期の光景を目にしてるようでした。
正直、怖かった。
どうしよう・・って思った。
また不登校になるのかな・・・っても思った。
復学してから3年以上経ち、これまでにだって困難は沢山あったはず。
苦しいことだってなんとか乗り越えてきたじゃない!?
どうして行き渋ってるんだろう?
これまでの小さい問題が積み重なってあふれてしまったのだろうか・・
こんなふうに、自問自答の毎日でとても苦しかったです。
そして木曜・・とくに理由もなく布団をかぶりふさぎこみです。
たまらず朝に上野先生にメールしました。
本当は今日も休んだら、上野先生が、夕方我が家に電話を入れてくれることになってたのですが、
急遽、朝、これから電話を入れるということになって。。
時間は車で送っていってギリギリの時間。
息子は電話には出ません。
今日(上野先生が)来ることを息子に伝えました。
体は動きません。
ただ、「どうして今日なんだ!」と泣いてわめくだけ・・
我が家にくる予定とか段取り等上野先生とは後ほど相談することになってました。
「私が行って○○(息子)に聞いてみますよ」っても仰ってくれてました。
しばらく放っておきましたが
「今日きたら、もう学校なんか一生行かない!!」とわめいている。
しきりに「どうして今日なんだ・・どうして・・どうして」と泣いて。。
「明日は行く」と息子は言いました。
私の判断で、ワンクッション入れようか・・と思った。
「明日にしてもらうように、先生に聞いてみてもいいよ」と。
そのことを上野先生に伝えると、「明日は行くと言ってるのなら、じゃあ一日待ってみましょう。」ということになりました。
そして次の日、3月11日の金曜日
この日は娘の卒業式でした。
息子は起きてきました。
ちゃんとご飯も食べてます。
そして登校しました。
念のため朝に上野先生から電話も入れていただきました。
登校できてよかった・・・
娘の晴れの卒業式だったので、息子も姉の姿を見送ることができてほんと良かったと思った。
そして何より!何より!
もし息子が休んでいたら・・・
そう、上野先生も震災に遭遇するところでした!
本当にこちらに来てなくてよかった・・・
こちらから帰るすべもなかったですからね。
卒業式が終わり、息子もとりあえず今日は学校に行けた・・と安堵していたのもつかの間・・
大地震がきてしまって・・・
そのまま学校も休みに入ってしまい、終業式も離任式もなく、どこにも出かけずに、息子はネトゲ廃人というのでしょうか・・そんな感じになってました。
放射線の影響で外に出れないこともあるのですが、、唯一出かけたのが、予防接種と床屋さんだけです。
それ以外家の中でずっと過ごし、本当に毎日毎日ゲームをしてばかりで、昼夜逆転も起こしてました。
毎日何時に寝ていたのだろうか?
見ている限り、ほんと無気力で覇気が無く、何事も面倒くさい・・そんな感じの毎日でした。
4月に入りやっと中学校から連絡が入り、学校が6日から始まると聞きました。
結局、なんで休んだのか?・・なぜ学校に行けなかったのか?
うやむやのままだったから、この新学期もどうだろう?ってかなり不安でした。
そして6日の朝、声をかけると起きてきました。
かなり心配だったけど、普通に登校しました。
それから今日まで、意外なことに、ちゃんと自分から起きて何事もなかったかのように登校してます。
震災での休みが、うまく息子をリセットさせてくれたのでしょうか・・
マスクの着用と、当面屋外での活動はできなく、部活動も5時で終わって下校になりますが、
やっと・・・時間が動き出した
そんな感じです。
避難している中学生の転入もあったようです。
余震もありまだまだ落ち着かない生活かとは思うけど、頑張って中学生活を送ってほしいなって願います。