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write夏恋 
息子の不登校の記録・・・【肥満】
 

先日、といっても、え〜っと6月初旬頃の話しですが
ママ友からこんなメールをもらいました

「仕事で山奥に行ってたら道に迷い、○中の坂道に出たら、○○君一生懸命走ってました思わず○○君ガンバ!って叫んでしまいました部活頑張っているんだな〜って嬉しかったです○○君もビックリして振り返ったよ

仕事途中にちょうど息子の姿を見かけたみたいでした
うん、確かに坂道のランニングはじめ、アスレチック階段上り下りセットもあるって言ってたもんな〜。

あ〜、真面目に練習してるんだってわかり、そしてメールをくれたこと、私も嬉しく思いました

このママ友(Iさん)は息子が1歳の時から預けた保育所で知り合ったお母さんです。
小学校は別の学校だったけれど、お互いの家を行き来したり、息子同士も仲が良く、小学校に上がってからもよく一緒に遊んでました。なので気心の知れたお母さんです。


息子が不登校になってしまって・・・
Iさんには随分助けてもらいました。

「うちに遊びにおいで」と常に言ってくれていて、
不登校初期の荒れた頃でも、学校のお友達には会えないけど、このIさんの息子、K君になら会うことはできたのです。
多分小学校が違うから息子も会うことができたのでしょうね。
IさんもK君には、息子が学校に行ってないって事は伏せてくれてました。

1月から学校に行けなくなって・・4月からの新学期からも登校は無理で・・
そんな5月のGWに、Iさんが潮干狩りに誘ってくれました。
K君と同じ小学校の保育所時代のお友達も混ざって。

その時の写真がでてきたので、懐かしく見てたところです。






楽しそうに写ってるけど、この頃はまだ些細なことで不機嫌になったりということも多かった息子です。

多分このときではないけど、いつだったか車中でK君が息子に「通知表どうだった!?理科は何?俺は3!」と話しかけていて、
息子「え〜〜っと、俺も3だった・・!」と答えてるのが、なんともなんとも不憫に思ったものでした・・。
息子の通知表は斜線でしたからね、斜線になる前の学校に行けてた時の成績を言ってました。


そして、の写真を見てもわかるように、息子、まん丸です

もともととっても細い身体の子でした。
やせっぽっちで体重もあまり増えず、どうしたら体重が増えるのかな?って思ってたくらいです。

それが学校に行けなくなってしまって、初期の頃はなんとも思わなかった。事実まだ痩せてました。
いつの頃からだったでしょうか・・この写真が不登校になってから四ヶ月が経ってます。
どんどん太ってきてしまったのです。
顔もぷくぷく状態、髪の毛も切りに行ってませんでしたから伸び放題で、余計丸く見えて。
特にすごかったのがお腹です。
胸はふくらんで、お腹が三段、いえ、四段、五段腹状態です

もともと一緒にお風呂には入ってなかったのですが、不登校になって、少しでもコミュニケーションをとりたいと思い、一緒に入るようにしたのです。その時に見るお腹がすごかった・・

そして今度はそのお腹にセルライト(?)がついてるのが傍から見てもはっきりとわかるんです。
お肉がボコボコしてるんです。
セルライトって普通お肉をつまんで、そうするとボコボコってみえるやつでしょ?
それがつままなくてもボコボコしてるんです
正直とっても恐いなって思いました。


不登校が長引くとこのような二次的なわざわいもでてきてしまうんですね。
毎日毎日家の中でビデオを見てるかとゲームをしてるかの日々。
体質もあるのでしょうが、太ってしまうのは当たり前の事ですね。

復学が決まってからも息子は太っていることを気にしていました。
支援の先生方に言わせれば、「そんなに太ってる方ではない」って仰ってましたけど、私から見ると十分太ってたのでした。
訪問の先生にいたっては、「太っていることより内股の方が心配」って仰ってました。
(息子は極端な内股なんです



そして中学生になった今の息子、ひょろひょろです。
復学してすぐには痩せなかったけど、継続登校をするうちに徐々に痩せてきました

9ヶ月間学校に行かず、家にいただけで、いつの間にか肥満になってしまった息子。
そのまま学校に行くことができずにいたら・・・更に太り健康を害してしまっていたかもしれませんね。












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| 息子の不登校記録 | comments(5) | trackbacks(0)
write夏恋 
息子の不登校の記録・・・【春休み〜新学期◆
 

「あ〜春休みも終わっちゃうね・・」と呟くようになった息子。
春休みが終わりに近づくにつれて、息子の不安な様子が手にとってわかりました。
夜になると落ち着かなくなり、なかなか素直に寝れなくなってきました。
新学期まであと、3日・・2日・・1日と近づき、私の気持ちもだんだん不安に。。。
それでも制服とか、準備物とか、困らないように、登校できる準備は揃えました。
前日の夕方には、いつも心配をしてくれているお母さんの息子さんも我が家によってくれて、
「明日ねっ」って、息子に声をかけていってくれました。

そして4年生始業式当日の朝
自分では起きてきません・・
起こしに行きました。声をかけました。
それでも起きない・・。
私の不安は一気に加速。

それでもなんとか目を覚まさせ、制服に着替えるのを半分手伝いました。
朝ごはんは食べたかな?覚えてないけどきっと食べなかった気がする。
娘も気をつかってくれていた。
登校まで少し時間があったので、娘と一緒に何か本を一緒に見てた。
とにかく私は息子の様子が気になって気になって仕方がない。
7時10分頃に家をでるのだけれど、なんとなく息子は行こうという雰囲気ではない。
(もしかしたら行かないかも・・)という不安に駆られて、私は待機してくれていた父親(元旦那)を呼んでしまった・・・。

実は再登校に踏み切ろうとしたこの日の朝、もしかしたら私だけの力では無理かもしれない。約束をした父親がいれば私も心強いし、登校してくれるんじゃないかと思い、朝早い時間に父親に電話して、下の駐車場で待っててもらってました。

「お願い・・きて・・」そう電話した私。
そして、突然我が家に入ってきた父親にびっくりした息子。
(なんで!なんでお父さんがくるんだ!)表情からそんな風に読み取れました。

結局息子は固まってしまい、動くことができなくなってしまいました。
最初は穏やかだった父親も怒りだしてしまい
「行くっていったろ!行かないんだったら仕事場に連れていくから!毎日現場で働いてもらうぞ!毎日迎えにくるからな!!」
父親のあまりの剣幕に息子も大泣きです。
「月曜には行くから・・・」息子のその言葉でなんとかおさまった感じ・・。

でも月曜日にも行くことはできませんでした。
あんな「毎日現場に連れてく」と怒った父親だったけど、そんなこと実行するわけでもありません。

「液晶テレビもらうんじゃなかったの?」と聞くと
「そんなの!要らないし!」

そうですよね・・
このときやっぱり物でつったって駄目。無駄、無意味だということがはっきりわかりました。


新学期に登校をと試みたことは出来ずに終わってしまいました。
それからはまた以前と同じような毎日の繰り返し。
いったいいつまでこの毎日が続くのだろう・・・
このままずっと学校に行くことができず家にいるままなのだろうか・・・
暗闇のトンネルから出口が見えない・・・
そんな新学期・新学年の始まりでした。


今思うと・・・
一番不安だったのは息子に違いない。
それなのに、また追い討ちをかけるように息子を責めてしまった私・・・
息子の苦しみは二重三重となってしまったでしょう。
ほんとひどいことをしたなって思ってます。


学校と家庭でのギャップも埋まってない。
息子の気持ちも汲み取ってない。
相変わらず過保護な状態。
何ひとつ根本的なことが解決していない状態で登校できるわけがなかった。




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| 息子の不登校記録 | comments(2) | trackbacks(0)
write夏恋 
息子の不登校の記録・・・【春休み〜新学期 
 
皆さんのところはもう桜の花も満開といったところでしょうか?
こちらはようやく蕾が膨らんできたのかな〜?っていう感じで、10日前後ぐらいが開花みたいです。

気がつくと今日で春休みも終わってしまいました。
いよいよ明日は中学校の入学式です。
も〜母子手帳見るの面倒くさい〜!と思いながら今頃書類を書いている私です。
息子の譲ってもらった制服も、ズボン裾上げしなくちゃならないな〜と思い息子にはかせたら、なんとぴったし!裾上げの必要なかった。165なんだけど、3年間もつかしらね〜

今日は娘は入学式の準備のため登校・・っていうか、毎日部活だからね。
春休みはあってないようなもんだったでしょうね。

そして今日息子はクラス発表を見に行きました。
10:00〜10:30の間に昇降口に貼りだされるので、その時間に合わせて中学校に行き見てきたようです。
仕事をしながら、何組だったのかな〜?ってちょっとドキドキしながら仕事してました。
なるべく仲の良い子と一緒になってほしい願いっていうのありますよね
帰ってから聞いたけど、ん〜、どうなんだろう?
息子は「3組がわりと集まってるかな」と言ってたけど(息子は1組でした)
新しいお友達との出会いも楽しみのひとつですものね。
沢山お友達をつくってほしいなと思います。

そんなわけで、不登校の記録、今の時期の頃を少しばかり書いてみます。


  


2007年3月

学校に行けなくなってから2ヶ月が経過。
周りからは「3学期なんてあっという間。今しっかり充電して新学期に行けたらいいよ」
などとも言われてました。
そして春休みに突入。
相変わらず感情の起伏は激しかったけど、
息子も春休みというせいか、気持ち的にも少し楽になった感じのように見えました。

そして、環境も変わり新たなスタートの変わり目・・・
3年前、その環境の変化を期待して新学期に再登校を試みようとしていました。

3月中旬頃に一度父親(元旦那)が来てくれて、たまたま私は外出していなかったのですが、
息子にやんわり聞き出したようで、「4月になったら学校に行く」と息子と約束をしたようです。
(父親には学校に行けてないことを相談してました)
その日は息子もとっても機嫌がよく、父親とキャッチボールの約束をしたりしてました。
そして父親が「ちゃんと学校に行けたら液晶テレビをあげる」という、いわゆる物でつったことも知りました。
でも、「お父さん、液晶テレビくれるって〜」と機嫌よく言う息子に、私も学校に行けるのなら・・それで行く気になるのなら・・と、「行く」と約束した息子に安堵したのでした。

息子はもともと学童保育に行っていて、学童の先生も心配してくれていました。
その当時学童内も少しゴタゴタしていて、先生が変わるなどして、息子もほんの少ししか関わっていない先生でしたが、気にかけてくださってました。
「せめて平日早い時間でもよいから学童にこれないかな〜」と仰ってくれましたが、
みんなが学校から帰ってきて行く学童に、とても行ける状態ではありませんでした。

しかし、土曜日ならなんとか行けるんじゃないかと、何度か私も誘ってみましたが、息子は来るメンバーを聞いて、「男の子がいない・・」などと言い、行きたい気持ちはあるようでしたが、なかなか足が向くことができませんでした。

春休み。。気持ち的にも楽になったのか、3/26日に不登校になってから初めて学童に行くことができたのです。
私は涙がでるほど嬉しかったです。学校ではないけれど、学校に関わっているところ。そんな場所に行くことができた。
学童から学校はすぐ視界に入る距離です。これで学校を感じてくれるなら・・そんな思いでした。
この春休みに学童に行ってお友達とも関わったら、新学期に学校に行けるかもしれない。そんな望みも抱いてました。
でも・・・
学童は長期休みの時、おもちゃを持ってきていい日というのが決まっていて、そういう日は行けたのです。。もちろんゲームが出来るからですよね。
違う日は行けない。でもゲーム持参できない日も1日か2日行くこともできました。

お迎えの時に会ったあるお母さんにも「学童これてるんだね、だったらもう大丈夫だね」なんて声もかけられました。
だけど、私はもしかしたら学校に行けるかもしれないとも思ったけど、それ以上にとっても不安な気持ちもいっぱいでした。
学童と学校は違う。。多分学童では好きなようにして過ごしていたと思います。先生も気をつかってくれてたことでしょう。何より同じクラスの男の子がいない。同じ学年の子も2・3人ぐらい。だから行けてたんだとも思います。
それに、行った後は機嫌がよくても、また家ですごく不機嫌になる。
感情の起伏も激しかったです。

それでも「新学期になったら行く」と言った息子だったので、行ってほしいという願いと気持ちが強くでてた私でした。

春休みも終わりに近づき「あ〜もう春休み終わっちゃうね・・・」という息子の言葉が気になりながらも・・・。


長いので一旦終わります。









 


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| 息子の不登校記録 | comments(2) | trackbacks(1)
write夏恋 
息子の不登校記録・・・【相談】
連日秋晴れのと〜ってもよいお天気が続いてます  
見渡す限り黄金色の田が目に入ってきて、そろそろ稲刈りがあちらこちらで見られるのかと思います

不登校時の出来事を記事に残しておこうと思って、ちょこちょこっと書いてはみたものの、あれれ〜の状態で 順を追って書いていくか?それとも日々の日記の中に盛り込むか?ごちゃごちゃな状態でなんだかうまくまとまりませんが、少し書いてみました。

  

息子は3年生の3学期から完全不登校になりました。
今までを流れ的にみると
息子の不登校記録・・・【不登校の始まり】
息子の不登校記録・・・【夜が恐い】
息子の不登校記録・・・【先祖の供養】       
このような流れでした。



2007年2月
不登校なんだと認めざるを得ず、思い悩んでいる日々が続く中、親戚のおじさんの紹介で東京在住のセラピストさんを紹介してもらいました。電話での相談です。
その方からは「命令・指示・禁止」はしないで。できることはなんでも受け止めて。と言われてました。

ある日の晩ご飯のとき。
普通に食べ始めたかと思ったら突然息子が
「まずい!!こんなの食べられっか!!」と突然箸をバーンって置いて、食器をザーッとどかし・・・
「肉!肉が食いたいんだ!!」と大騒ぎ。
「肉?肉にも色々あるけど・・」
「肉っていったら肉なんだ!!」
「・・・焼肉ならできるけど・・」
「そんなんじゃねえ!肉だよ!にく!」

あまりの剣幕に私は肉(?)を買いに出かけたのでした。

外に出たついでに、そのセラピストの先生に電話して今の状況を説明し、どうしたらいいか尋ねたら
「あなたができることはやってあげて。できないことはいいから」と。
「私もね、もう寝るだけでパジャマ姿でいるのに急に娘にコーラ買ってきてって言われて、深夜に買いに行った経験があるわ」と。

そう言われると、買うことはできるわけで・・結局お惣菜のから揚げを買って帰ったのでした。
帰ると息子も比較的落ち着いていて、買ってきたから揚げを食べたのでした。

「まだ(休み始めてから)一ヶ月も経ってないじゃない、焦らないで。私の娘は1年かかったわ。」
そう仰るセラピストの先生に私は「はい・・・」と答えるものの・・・え、これがずっと1年も続くの?・・・と内心思ったのでした。

結局のところ私は、できることとできないことの区別がわからず、息子に気を使い、そして息子の言うがままに従いいいなりになっていたのでした。
完全なる子ども上位の世界です。

一度そのセラピストの先生ともお会いすることができました。
がんばりましょうと励ましてくださり、元気をいただきましたが、おじさんが紹介してくれただけで正式にカウンセリングを受けているというわけでもないので、遠慮もあり、徐々に遠のいてしまったのでした。

おじさんにも常に心配してくれて状況を聞いてくれましたが、
ゴミ箱を常に蹴ってゴミをまき散らす息子の様子を伝えたら
「そっか、そっか・・ありがとう・・何事にもありがとう・・と感謝の気持ちでね、ゴミ箱を蹴ったら、蹴ったゴミ箱にもありがとうと感謝するぐらいの気持ちでね」
と言われ、(え〜〜・・とてもゴミ箱になんか感謝できないよ・・なんか違う・・)と思った私でした。
おじさんはきっと別の意味合いで私に伝えたかったのだと思いますけど・・。


不登校になり始めてからの1、2ヶ月は、どうしよう・・と日々悩み続け、とりあえず相談した方がいいだろうと思い、学校・・担任・・公共の相談機関・・スクールカウンセラー・・と、動いていた私でした。

一番最初に相談のため電話を掛けたのは児童相談所でした。
電話を掛けると住んでいる地区を聞かれて、担当の区域があるからと掛けなおすように言われ、掛けなおした先は市役所の家庭児童相談室でした。
声からするとけっこう年配の男性の方が聞いて下さいました。ちょうどその日初めてスクールカウンセラーさんともお会いする日だったので、「なお、まずはそちらに行ってみて相談してみて下さい」と言われました。
スクールカウンセラーのいきさつはここで少し書いてます。
後にこの家庭児童相談室の相談員の方とは別の繋がりで直接お会いすることになりました。

当時の息子は夜になるとハイテンションになり、常にイライラし、暴れ、叫び、食事に文句はしょっちゅうで、要求もすごい。そして貧乏ゆすり、爪かじりなどが頻繁にでていました。

ある夜、私が買い物行こうとすると一緒に行くと言いついてくるものの、お店に着くと「誰かに会うと嫌だからやっぱ行かない・・」と車の後部座席に隠れるように身を潜めている姿がとても不憫に思えて・・・


相談というと担任の先生も常に心配してくださっているわけで・・。
次は担任の先生とのかかわりなどを書いてみようかなと思います。

     
 
         



先日、なんでこんなにほこりって溜まるのかなぁって思いながら掃除をしていたら、
ほこりをかぶったスージーちゃんを発見

    090915_073739_ed.jpg

どんどん物は増えるので、要らない物は捨てていきたいところなんだけど、
このスージーちゃんは捨てられないんだなぁ

息子が不登校中でずっと家の中にいた頃、娘の心も不安定なものでした。
そんな娘と一緒にビーズアクセサリーやバックなど実に色々なものを作りました
このスージーちゃんも娘と一緒に作った中のひとつなのです。
これを見ると当時を思い出すわ〜〜








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| 息子の不登校記録 | comments(6) | trackbacks(1)
write夏恋 
息子の不登校記録・・・【先祖の供養】

息子が不登校になる前の冬休み、
何かと休みが多くなった息子を危惧してお義姉さんにちょっと相談してみました。
お義姉さんは宗教というか熱心に信仰しているものがあります。
「一度こういう方が(霊視できる人?)来るから話を聞いてもらったら?」と言われ
一緒について行きました。
私もぜひ見てもらいたいという気持ちもあったので。

もともとは私の祖母が信仰していて、それをお義姉さんが引き継いで・・みたいな感じであり、今は親戚のおじさんがとても熱心に信仰しています。

その親戚のおじさんもとても親身になってくれて、息子の行き渋りの話しを聞いてくれました。
お義姉さんと一緒におじさんの家に行きました。
関東在住というある女性の方が見てくれました。

結果的には何代前かのご先祖の不徳ということで、
毎日氏神様にその不徳のお詫びに行くようにという事を言われました。

よく不登校になる子には、水子がついてるとか、ご先祖を供養してないからとか聞いたことがあったので、やっぱりそういう関連もあるのね・・と思った私です。
言われる通りに、毎朝氏神様にお詫びに行きました。

1月頃から4月頃まで通ったかな・・・
朝の暗い神社は怖いです・・・。
だけど息子のためと思い、一心にお詫びしましたけどね・・・

同時に私自身お清めをするため、時間の許す限りおじさんの家に通ったり。
般若心経も何巻も唱えたな・・・

その関係で東京に住んでらっしゃるセラピストの先生を紹介していただき
電話ででしたけど相談させていただくことになったのです。
その先生の娘さんも1年間の不登校を経験したということでした。







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| 息子の不登校記録 | comments(0) | trackbacks(2)
write夏恋 
息子の不登校記録・・・【夜が怖い】

2007年1月下旬〜
息子が学校に行かなくなり、私に「仕事に行くな!」と言うようになりました。
私は仕方ないので、家でできる仕事は持ち帰り、一週間休みをとりました。
それでも代わりがきかず、待ったなしの仕事もあるので、息子の状態をみながらまた少しずつ会社に行き始めました。でもせいぜい2時間、よくて3時間くらいしか仕事になりませんでした。
必ずお昼頃「まだ?」「いつ帰ってくるの?」と携帯に電話をかけてくるので、会社の人も「無理しなくてもいいから」と言ってくれ、お言葉に甘えて帰らせてもらってました。

家でも姉とのケンカも絶えなくなり、その度に息子は私に「明日仕事にいくな!」と言う始末でした。
姉も初めの頃は弟に気を使っていたんです。
夜になるととてもハイテンションな息子と一緒に遊んだり、皆で息子のしたいことにつきあったりと。
でも次第にケンカも多くなって・・・。
仕事をしないとお金が入らない、生活ができないんだよ等の説明をしてもいっこうにダメ。
それほどまでに私が仕事にでることが嫌なのかと思い、
「わかった・・・仕事より○○(息子)の方が大事だから仕事休むよ」と言うと少し落ち着いて素直になった息子でした。
そんなわけで仕事には息子の気分次第で行けたり行けなかったりの日々でした。


休み始めて2週間、お友達のお母さんも心配して下さり、一緒に遊ぶ手配もしてくれて。
まだこの頃はクラスのお友達とも会うことはできてました。
放課後にお友達の家に行き(お友達のお母さんが仕切ってくれて)、帰ってきて、楽しかったのか機嫌はよく
「ほんとはね〜行きたいんだけどね〜、だけどね〜・・・」
と言った息子でした。


そして先にも触れましたが、夜になるとハイテンションになるのです。
当時娘は11時頃就寝してたので、自然と寝るモードになるのですが、
一応息子も寝る態勢になるのですが

「怖い・・・」

「朝になるのが怖い・・・」

「寝たら朝がきてしまう・・・」

と言い、夜更かしが続きました。
布団に入らず居間にい続けたりするので、一緒につきあって居間に寝たりもしました。

それまで2段ベットの下段に一人で寝ていた息子は、赤ちゃんの頃と同じように私と布団を並べて一緒に寝るようになりました。

夜が怖い・・・という息子

朝になるのが怖い母・・・








1/24日〜1/30日は「全国学校給食週間」だそうです。
それにちなんで、28日は小学校も中学校も
「郷土食・伝統食を食べよう!」という日でした。
市内全小中学校で統一献立です

学校給食に関する理解と関心を高めるため、毎日の食事に感謝し、また昔から地域に伝わる伝統料理や風土にあった四季折々の地元の産物、旬の食材を使用した郷土食を献立に組み入れ、食習慣、地域の歴史文化を改めて見直し、郷土を慈しむ心を育てる。
とういうのが趣旨のようですね。


献立を紹介します(配布チラシより)

七穀米         おしむぎ ・くろ米 ・はとむぎ ・発芽玄米 ・もちきび 
           ・たかきび ・アマランサス
             の七種類の雑穀をまぜて炊き上げる。
           せんい質を多く含み、健康食として見直されています。

塩引き(一塩新巻鮭)  

           昔はお店屋さんもなく、魚はなかなか食べることが
           できませんでした。
           お歳暮などにいただいた塩引きを保存食として、一匹を
           必要分切りながら食べていました。
                           
          
ざくざく煮   明治以前より地域で色々な行事の時に作られていました。
           今では捨てられてしまうようなところまで無駄なく使われて
           いたので1cm位のさいの目に切られています。
           鶏肉・大根・にんじん・ごぼう・焼とうふ・こんにゃく等  
          

じゅうねん(エゴマ)和え

           はくさい・小松菜・にんじんをじゅうねん(エゴマ)で和えたもの
           じゅうねん(エゴマ)はしそ科の植物で香りがよく、ビタミンA 
           B1・B2・Cが多く含まれています。
           昔の和えものといえばじゅうねんが使われていました。  
           じゅうねんはどこの家庭でも栽培されており、よく食べられ
           ていました。


りんご     昼と夜の温度差がある高原特有の気候のため、おいしい
           りんごやサクランボが栽培されています。   




さて、娘も息子も何かを感じ取って味わうことができたのでしょうか?






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write夏恋 
息子の不登校記録・・・【不登校の始まり】
何日か前、ふと手帳を広げてみていたら、ちょうど今の時期だったんだなぁ・・・と。
2年前息子が学校に行かなくなり始めたのがちょうど今頃。
その頃の様子を思い出してました。

ブログを書き始めたのが復学してからなので、不登校の頃から学校に戻るまでの我が家の場合の様子を少しブログに書き残してみようかなと思います。
以前にも同じような事を書いてるかもしれませんが・・・






不登校の始まり・・・2007年1月

我が家の場合、「うちの子が何故?どうして?」
というように、突然学校に行かなくなってしまったわけではないような・・・
くるべきものがきてしまった・・・というのが正直な想い。

小学校1年生の時、一度学校を行き渋り、無理やり車に乗せ、車から降りない息子をなんとか養護の先生に引き渡したことがあります。
このときは、まだ1年生だしこんな時もあるかなと軽く考えていました。

2年生に進級し、担任の先生は新しい女の講師の先生。
2学期の中頃、また行き渋りがでました。
そのときは、「不登校になってしまうのでは?」という私の不安に、
担任の先生が「不登校と思わずしばらく様子をみてみましょう」と言われ
2日続けて休んだ程度でその後無事3年生に進級しました。
ただ2年生の時は、水泳記録会の日に休んだり、学年行事の日の朝に急に行かなくなったりと、行事関係でハラハラする日が多かったです。

3年生に進級し、今度は他校から新しく着任した少し年配の女の先生。
とても物事をはっきりと言うかなり厳しい先生。
2学期の終わりごろには息子はもう月に1回〜2回休むようになってました。

そして3学期が始まり、始業式の次の日に休み、次の週の月曜に休み、翌日からはなんとか車で送迎することによって登校できてましたが、また次の週から休み始め、途中担任の先生が検査入院のため休むとわかっていた日だけ登校でき、その日の帰りも「明日先生いるのかな・・・」とすごく気にしていて、先生がネックなのかと思っていた私は「わからないけどまたお休みかもね」なんて行きやすいような言葉もかけたけど、次の日もやはり行くことができず、それ以降もう学校にまったく行くことができなくなりました。

その頃迄の朝の様子は、私はおきてこない息子を抱きかかえ居間まで運び、
半分寝てる状態の息子にご飯を養い、制服の着替えを手伝い、何とか送り出す。
とても疲れる毎朝を過ごしてました。

時には「こんな朝飯、まずくて食えない!」と怒り
登校時間が近づくと「お腹が痛い・・・」
とにかく私は学校に行ってほしくて、ひきずってでも連れていこうとしました。
そのうち車まで来れてたのが、もう玄関から出ることができなくなってしまっていました。

「いじめられてるの?」
「違う・・・」
「先生が嫌なの?」
「休んだ次の日にしつこく理由を聞かれるんだ・・・」
やっぱり先生が嫌なのか・・・
当時の私はそんな風に思っていました。
と同時に今までの甘やかしがこんな形ででてしまったんだろうなとも思い、後悔するばかりでした。

渡すものもあったので学校に出向きました。
校長と担任と養護の先生を交えて話し合い。
「いったい何が原因なのでしょうね・・・」
「・・・・私も困ってしまって・・・」
何分ぐらい話し合っていただろう・・・
毎朝の様子を話したり、学校での様子を聞いたり・・・
「とりあえず今日は制服を着ることまではできたのですから、それだけでも認めましょう・・」と言う養護の先生の言葉で終わりましたが・・・。

担任からカウンセリングを受けたほうがよいという話だったので、教頭先生を介して、中学校に来ているスクールカウンセラーの先生との相談の予約をいれてもらいました。

そして1月終わりの週にはもう学校に行くことは難しいとわかったので、無理に連れて行くことはやめ、
朝に「どうする?」ってだけ聞いて、布団をかぶる息子の姿を見る毎日になりました。

私は子どもが生まれてからもずっと仕事を続けてました。
産前6週産後8週の産休のみ、あとは日中預けて働いていたので、
愛情不足?今こうして母の愛を取り戻そうとしている?
寂しかったのだろうか・・・とも考え、会社に事情を話し、有給を使いしばらく休みをもらいました。

そんな中、担任の先生がしばらく入院することになり、もしかしたら行けるかも・・・と淡い期待ももちましたが、そんな願いも崩れ去り、どうしたらいいものかと頭を抱え込む毎日でした。








「とうとうドラマにもきたか・・・」

大分前ですが娘のつぶやきです
そう、ドラマにもテレビ画面右上に「アナログ」と表示されるようになってしまいました
もはや早く地デジにしなさいと言わんばかりに・・・

わかってますよ!2011年2月まででしょ!

その頃までには液晶もだいぶ安くなってることでしょうよ。
(今もかなり安くなりましたけどね)
まだまだ我が家はギリギリまでいきますよ〜〜〜





 
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